モグラボラトリ日誌

森薫のウェブ・サイト「モグラボラトリ」のブログ&コラムです。

【ブログ&コラム】メイソン・カリー著『天才たちの日課』読んでます。

今これを、すきま時間に楽しんでいる。

すばらしい仕事を残した「天才」たちが、日々をどのように過ごしていたか、仕事の時間をいつごろに設定していたか、睡眠や食事の習慣はどのようなものだったか、等を、自伝や秘書・弟子の記録をもとに集めている本。原題はDaily Rituals: How Artists Work。こちらのほうがしっくりくるかも。名を成した人々をひとくくりに「天才」と呼ぶのは、私は抵抗がある。

いやー、それにしても。他人の日常フェチには、めちゃくちゃ面白い本だ。ベートーヴェンボーヴォワールフェリーニ等芸術家を中心に、ベンジャミン・フランクリンらの日々も登場する。フランクリンすごかった。ここまで習慣形成に熱心な人だったとは。すべてを自分の意志でコントロールし、それを続け、自動化されればより良い自分になれるのだ、自己変革できるのだという確固たる信念。しびれます。本の冒頭には彼自作の理想の一日の表も出てきて、そこに音楽のことも書いてありうれしくなった。

1人あたりの長さはとても短く、すきま時間に読むのにはぴったり。パックする間にちょっと数人分、といった読みかたをしている。

そしてこの本、ネットで書評コメントをちょろっと検索したところ、「天才もわたしたちと同じ、けっこう不摂生なんだ」「朝の時間がやはり大切」「休養なくしてよい仕事はできない」…他にも様々あり、ささるところが読者によってかなり違うのが面白い。「誰もみな、読みたいように読んでいる」ということを改めて思わされる。

このところ趣向を変えて、乱読上等というノリで同時並行的に複数の本を読んでいる。楽しいけど、途中で頓挫している本があるのはやはりいささか気になる。うまいこと自分にあった方法をみつけて、読書量ふやしたい。

 

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【ブログ&コラム】書籍『初等音楽科教育 (MINERVAはじめて学ぶ教科教育)』が出版されました

昨日に引き続きもうひとつ、この春に出版された書籍のご紹介です。少し(1ページ)なのですが、こちらでも執筆をしました。

吉田武男監修、笹野恵理子編著『初等音楽科教育 (MINERVAはじめて学ぶ教科教育)』(ミネルヴァ書房)

目次:

監修者のことば
はじめに
第I部 初等音楽科教育の理念と理論
第1章 初等音楽科教育の意義
第2章 初等音楽科教育のねらい
第3章 初等音楽教育の歴史 
第4章 初等音楽科教育の学習指導の内容
第5章 初等音楽科教育の学習指導の計画 
第6章 初等音楽科教育の評価 
第II部 初等音楽科教育の実践
第7章 初等音楽科教育の授業づくり
  第8章 初等音楽科教育の実践1――A表現(1)歌唱
第9章 初等音楽科教育の実践2――A表現(2)器楽 
第10章 初等音楽科教育の実践3――A表現(3)音楽づくり
第11章 初等音楽科教育の実践4――B鑑賞
第12章 初等音楽科教育の実践5――〔共通事項〕について 
第13章 初等音楽科教育の実践6――各活動の関連
第III部 初等音楽科教育の課題と展望
1 多様な音楽文化の諸相と音楽教育
コラム1民謡をうたう
コラム2能はおもしろい
コラム3私とサムルノリ
コラム4古楽が捉える音楽における大切なもの
2 多様な学校音楽教育の諸相
コラム5アウトリーチ活動と音楽教育 
コラム6生涯音楽学習とミュージッキング
コラム7日本人学校における音楽教育
コラム8震災と音楽教育
3 音楽科教育のICT化
4 音楽科教育に求められる教師の力量
第IV部 初等音楽科教育の教材研究
1 指揮と伴奏
2 楽 典  
3 教材研究
第V部 初等音楽科教育の資料研究
1 学習指導案
2 特色ある音楽教育 
3 音楽史・音楽教育史年表
4 小学校学習指導要領 音楽
事項・人名索引/楽曲索引

私は、「第III部 初等音楽科教育の課題と展望」の中の「1 多様な音楽文化の諸相と音楽」で、ポピュラー音楽についての1頁を担当しました。1ページのなかで、ポピュラー音楽の特色を多角的に述べつつ(カバーやパクリのことも、ワードとしてちょこっと入れました)、授業づくりのヒントになることをできるだけ盛り込もうと工夫しました。授業構想を練るときの発想のきっかけになるようなところがあれば嬉しいなあと思っています。

まだこちらは私も全ては読めていませんが(すみません)、教科教育法のテキストとしてだけでなく、辞書のように各トピックについて索引を引き、使うこともできそうです。コラムがふんだんにあって、読み物としても楽しい。ハンドブック的な側面があるので、もしかするとすでに教職に就かれている先生方にも活用して頂けるものかもしれないと感じています。

この春は、ありがたいことに参加させて頂いた2冊の本が相次いで出版されました。奥付のページを開くと、論文・書籍でお名前を知っていたり、学会でお世話になったりしている先生方の名前があり、その並びに自分がいることが光栄だなと素直に思います。10年前の自分が知ったら、さぞびっくりするだろうなあと。これからも精進します。

 

 

【ブログ&コラム】書籍『新しい小学校音楽科授業をつくる』が出版されました

この春、新しい小学校学習指導要領に対応した書籍が続々出版されていますが、私もこちらの本の執筆に、共著で参加させて頂きました。

高見仁志編著(2018)『新しい小学校音楽科の授業をつくる』ミネルヴァ書房

目次:
まえがき
序 章 これからの音楽科教員に求められるもの「教科専門」と「教科の指導法」の融合
第1章 これからの小学校音楽科が目指すもの新学習指導要領の目標と内容等をもとに
第2章 学校教育における歌唱指導
第3章 器 楽
第4章 音楽づくり
第5章 鑑 賞
第6章 音楽科とICTの活用
第7章 異文化の音楽
第8章 日本の伝統音楽
第9章 音楽科におけるアクティブ・ラーニング
第10章 音楽科の学習指導案
第11章 音楽科の学習評価
第12章 音楽科授業成立の鍵を握る学級経営授業を成功に導く大切な一瞬
第13章 校内の全教師が音楽科を重要視する学校いかにして音楽文化を学校に根づかせるか
第14章 音楽科と保幼小連携
第15章 指揮法
第16章 音楽理論
第17章 共通教材と伴奏譜
資料 小学校学習指導要領 (平成29年3月)(抄)
人名索引/事項索引

完成した本書を読みながら私も勉強していますが、音楽科の学習指導要領について、授業構成法について、また今日的課題について網羅的に学べるほか、採用試験に直結するような音楽理論の基礎知識も確認・学習できるようになっています。

私は第4章の音楽づくりと、第14章の保幼小連携を担当しました。専門的な内容と、すぐに実践で使える楽しいアイデアを、絶妙のバランスをねらって織り交ぜ、書いたつもりです。各章の末尾には、ちょっと私的にアツいことを書いてみたりもしました。法令の文言、年号、譜例、図表等、細かい点を何度も何度も確認して校正作業をした(とはいえ、編著の高見先生のお力がほとんどです。本当にありがとうございます)こともあって、分量以上の熱量がこもっている気がしています。

かつて、自分の先生から、「論文以外の文体も少しずつ身に付けなさい。書き分けられるようになるといいよ。」と言われたことがあり、書籍の執筆に参加させて頂くときはいつもそのことを考えながら取り組みますが、なかなか難しいです。少しでも、多くの人にとって読みやすい、かつ骨のある文章になっていればいいのだけれど。

お手に取って頂けたら嬉しいです。

 

【ブログ&コラム】毎日コツコツアコガレと、健康ネタ

前回のブログから1ヶ月以上たってしまった。どうしたら習慣づくのか。

習慣づけなくても別にいいし、誰も求めていないのだから書かなくてよい気もするのだが、やはり私にはどうしても、毎日コツコツ日記を書いている人達への憧れがある。というか、日記でなくても、「毎日コツコツ」に対する憧れとコンプレックスがある。

毎日コツコツランニングをしたり、楽器を弾いたり、小説を書いたり、作曲をしたり、ヨガをしたり。私の周りにはそういう人がいる。そういう人たちに共通する、リズムよく生産的に毎日を過ごしている感じ。楽しそうに、かつストイックに自分を律しているあの雰囲気。素敵。そんな「毎日コツコツ」の、私のなかでの典型が、日記を書くということなのだ。

ああ、「毎日コツコツ」な人に見えている世界を、私も見てみたい。

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今日は家で仕事をし、終わったらジムに行くつもりで、朝から運動着を着ていたのだが、仕事が終わらず行けなかった。苦し紛れに、床を雑巾がけした。結構運動になるもんだな。とくに二の腕には効いている気がした。汗をかき、家もきれいになって一石二鳥。これからもたまにやろうと思う。

健康管理関連といえば。

最近、ルイボスティーを飲み始めた。我が家では2ピッチャー体制で麦茶をつねに用意することにしていたのだが、その内の1ピッチャーをルイボスティーに変えてみたのだ。お通じによく、肌もきれいになるらしい。味にくせがあるけれど、冷やしてしまえばあまり気にならないので、朝からがぶがぶ飲んでいる。始めて2週間程度、効果のほどはまだちょっと分からないが、確かにおなかの調子はいい気がする。

一時調子が低迷し、お漬物から謎のえぐみが出ていた糠床は、完全復活した。鷹の爪を入れたり、昆布を入れたりなんだりしてみたが、結局、毎日かきまぜるのがよいという結論。冷蔵庫保管なので、2、3日に1回まぜればいいんじゃないかと思っていたが、やはり手をかけてあげると味がぜんぜん変わるな。ちょっと糠氏に自立してほしい気もするが、問題解決してほっ。

ところでこんなことを毎日書いて見える世界などあるのだろうか。ねぇ。

【ブログ&コラム】名文の魔力に注意。

今日は通常通りの出勤の後、夕方近くから教育実習に関する仕事で小学校に行き、そのまま直帰した。久しぶりにまともな時間に帰宅し夕ご飯も済ませ、今は家で仕事をしている。労働時間は変わらなくても、夜は家にいる方が追いまくられている感覚は軽減されるようだ。ただしこれもしばらく実験が必要。

ところで。

SNSである人が、ある文章に対して「私が言いたいことをまさに言ってくれている!」と書いているのを読んだ。これは私自身も、共感する内容且つ表現力豊か・的確な文章に出会ったときに思うことだ。でも、もしかすると「本当に私が言いたいこと・思っていること」はその文章に書かれていることとは違うかもしれないよな、と最近考えてしまう。

名文には魔力がある。私もいっしょの意見!と幻惑されてしまうような魔力が。ドライブ力といってもいいかもしれない。しかし、大意はたしかに同じでも、ひとつひとつチェックしていけばおそらく、必ずディテールに差異がある。その差異に、私を私たらしめる/筆者を筆者たらしめる何かがある。そのことになるべく自覚的でいたい。本当に同じかどうか、精査しないとね、と自分を戒めてみる今日この頃。

 

【ブログ&コラム】生きています2018

就職して以来、こんなに追いまくられる3週間はあっただろうか。いや、ない。そして何でこんなに忙しかったのかが分からない。理由が曖昧なので、また唐突にこういう3週間が来るのではないかとびびっている。

授業が始まると忙しくなるのはまあ例年通りのことなのだが、それにしたってこりゃないよ、だ。先々週、先週は、12時間以上職場にいる日が確か7回。そして家でも仕事している。これはいけない。絶対いけない。恐るべし、裁量労働制

もちろん、3週間をちゃんと思い返せば年度初めならではの出会いとか、楽しいことも嬉しいこともたくさんあったんだけれど。でもそれより、とりあえず生きてます的な安堵感と、まだまだ続きそうなバタバタの日常に対する怯えが大きいそんな日曜夜である。

こういう時こそ日記を書くべきなんだろう。何が自分の日常に起こっているのかをあぶりだすためにも。

 

【ブログ&コラム】「憧れの最近接領域」をつくりだすモレスキン

手書きの日記を書いている。日記を書く習慣を持つことに対する憧れは昔からあり、これまで何度かトライして、いずれも続かなかったのだが、今回はもうすぐ8か月。そろそろノート1冊を使い終わりそうなところだ。数行で終わる日もあれば、2ページに渡る日もあるといった分量で、数日をまとめ書きすることも多いので、まあ適当な感じだが、一応続いている。

続けられている理由は明白。

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使っているノートがめちゃくちゃかわいいからである。モレスキン×ブルーノートのコラボノート。高かった。こんな素敵なノートで日記を書くとか超イケてるし(注:このブログは1990年代末に女子高生だった人間が書いています)、もしこれを使い始めて途中で投げ出したらもう自己嫌悪でやってられないので、どうにか続いたのである。

かたちから入るというのは、結構意味あることのように思われる。とっておきのノートで日記を書けば続く。日記を書く習慣が形成されたら、普通のノートにしても続くだろう。勉強などもそうだろうと思う。私はよくゼミ生に、かわいいノートやかわいいペンを買って卒論用に使うことを勧める。

教育工学者の上田信行(2009)による著書『プレイフル・シンキング 仕事を楽しくする思考法』(宣伝会議)に、「憧れの最近接領域」という概念が登場する。ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」の概念を上田が援用したもので、この人と一緒にいたらなんだかできそうな気がしてくる、という他者含みの自信のことである(pp.123-124)。私はこれは、憧れのモノを手にしたり、憧れの格好をしてみたりすることでも立ち上がってくると思う。上田自身、本書以外のインタビュー等で、そうしたことも述べている。

 

 なんだか話があさっての方向に行ったな。

さて、過去のページをふと開いてみたら、友だちと飲みに行ったら禁煙をがんばっていてエライと思ったこと、その友だちの肌の調子が良くなっていて嬉しいということが書いてあった。日記をつけはじめた当初は、研究や何かの着想を書いて活用したいとか、そんな野望もあったのだが、続けてみると内容はいつもこんな感じだ。でも、10年後か20年後か、読み返したら、こんな内容がとても楽しいのかもしれない。まだしばらくは続けるつもりでいる。