モグラボラトリ日誌

森薫のウェブ・サイト「モグラボラトリ」のブログ&コラムです。

【ブログ&コラム】思わぬところにニキビ

先週半ばから左目の目頭にずっとゴミがあるような感覚があり、ごろごろと痛痒くてしかたなかった。木曜深夜にその痛痒さで目が覚め、これゴミじゃないんじゃないか?と。鏡に向かい、左目の上瞼をひっくり返してみたら、瞼のキワに真赤なぶつぶつが3つできていた。大のおとなが1人で「うわぁっ!!!!」と叫び、布団で震える丑三つ時。

昨日朝イチで眼科に行ったところ、まつ毛の毛根が目詰まりしてできた、いわばニキビらしい。ニキビがこんなところにできて、まばたきのたびに眼球をこすっているなんて衝撃。しかし私は10代を、大量に発生するニキビとの戦いに費やした人間なので、またお前かいと、げんなりしつつも不思議に懐かしさをおぼえた。

2種類の目薬の他、瞼の裏に軟膏を塗っている。1週間程度で良くなるらしい。もうすでに、酷い痛痒さはなくなってきた。喉元すぎればなんとやらで、調子が戻るとすぐ今回のことを忘れそうだが、目は大切にしないといけないなあと改めて。

全然話が変わるが、昨日は同僚の先生方に、帯状発疹がいかに恐ろしいかについて聞いた。なんとびっくり、そこにいた私ともうおひとり以外の4人が皆経験者だという。どうやら30代後半くらいからは特に警戒が必要らしい。ストレスが大敵だとか。気をつけたい。

適当に、というか放蕩な暮らしをしていても健康が保てた時期はどうやら終わった。積極的に休みを取らないといけないし、食生活にも気配りしないといけない歳なのだろう。これまでの人生を振り返ってみると、私がもっとも規則正しい生活をしていたのは、恥ずかしながら小学生の頃だ。すべて親に管理してもらっていた頃がもっとも規則正しかったなんて…情けないなあ。

【ブログ&コラム】「○○してあげる」は言わないと決めている

どうしても気になっていること。

最近、日大アメフト部の騒動、というか事件について、ふとしたときに考えてしまう。教育に携わる人間の1人として、憤りや心配、共感、驚愕、賞賛、色々な気持ちが交錯する。

ただ、どうしても気になることがある。それは事件に直接関わらないことなのだが、どうしてももやもやしてしまうのでここに書いてみたい。

私が気になっているのは、日大を批判する/しないに限らず、メディアに登場するアメフト有識者やそうでないコメンテーターの大人たちが、学生へのケアや教育について、「○○してあげないといけない」「××してあげるべきだった」という言いかたを割とふつうに使うことだ。

大学生に日々接していて、私が意識してできる限り使わないようにしている言い方のひとつが、この「○○してあげる」話法である。この言い方、私がうがちすぎなのかもしれないが、正しい道・あるべき道を知っている大人が、何も知らない子どもに対して何かを上から与えてやる、というニュアンスが潜んでいる気がしてならない。

私はこれが最善策だと思う、だからこの方法を「提示」する。でもそれをするかしないかは学生が判断することである。そういう関係性やコミュニケーションを私は志向している。それこそが、社会に出ていく学生に対して教員が取るべき態度であると思っている。

内心は、ゼミ生のことなんてかわいいああかわいいと思っているし、「これしてあげたいあれしてあげたい」的な感情は私の中にあると思う。しかしそれを表明するときには、できる限りの配慮をしなければならない。アイデアや方法論は上から与えるものではなく、同じ位置から向き合って提示し、する・しないの決断は彼らにゆだねられるべきものではないだろうか。

学生がどう受け取っているかはわからないが、私はそう考えて、いつも気を付けている。メディアに登場する大人たちの「○○してあげる」の物言いは、極端な見方をすれば、学生の自由を奪い判断力を失わせるものであって、今まさに批判されている日大アメフト部の指導方法と、通じてしまうおそれもあるのではないか。言い過ぎかもしれないが…。

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集めすぎ雑貨シリーズ。

 

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 これは、ペットボトル飲料や缶詰についてきた付箋。10年くらい前のものもあり、かわいくて使えないわと取っておきすぎて、ほとんどが粘着性を失っている。最近もういい加減に、と思ってせっせと色々なことに使っているが、はがしたあと、全然くっつかない。切ない。あの頃さっさと使っていれば、こんなことにはならなかったのに。

【ブログ&コラム】不思議な日の話

数日前、疲れ果てて道を歩いていたら、味わい深いシーンに3連発で出くわした。不思議なことに、疲れているときほど面白いものを見る気がする。ふらふらして注意力散漫なせいだろうか。

 

①保育園の前の通りにて

タクシー運転手であるおじいちゃんが、孫の迎えにタクシーでやってきているところに遭遇。孫くんは大変誇らしそうに、運転手ルックのおじいちゃんの後ろを歩き、ぴかぴかに磨かれたタクシーにずんずんと向かっていく。友だちからかけられる「◎◎くんばーばーい」「おじいちゃんもばいばーい」という声に振り返って手をふる様が、なんというか意気揚々といったムード。

一方、おじいちゃんはどうやらふてくされていた。お迎えするのが嫌なのかもしれない。こんなに嬉しそうにしている孫を見て、ちょっとくらい笑みでもこぼれんもんかねぇ、と思いつつ、しかしまあ、「孫を見て目をほそめるおじいちゃん。2人は楽しそうにタクシーに乗り込みましたとさ、めでたしめでたし。」とはいかないのがリアルな日常というものかもしれないなとも。それに、あんなに楽しそうについていくんだから、きっとおじいちゃんは本当は優しいのだろう。そうだといいな。

②準備中のスナック店頭にて

保育園から歩いて100メートルほどのところにあるスナックにて。「準備中」の看板の上に、とても奇妙な柄の犬のぬいぐるみが置いてあった。紫とグレーのゼブラ柄で、全体にラメが入っている。顔はかわいいが、あまりにもぬいぐるみらしからぬ柄に目を引かれた数秒後、お店の奥からママらしき人が出てきた。なんと、ぬいぐるみと共布の服をきていた。史上最も度肝を抜かれるペアルックであった。毎日おそろいなのだろうか。まさかね…いやもしかして…。

池袋駅改札にて

今日は面白いものを見たなあと思いながら電車を乗り継ぎ池袋へ。西武池袋駅の改札前はカップルのメッカである。四角柱状の柱がたくさんあり、その陰に、互いが見えないくらいの距離感で立つカップルたち。そのなかに、もめている2人がいた。もめているなと私が気づいた瞬間、女性が男性の股間をグーパンチ。おお恐ろしい。暴力はだめだよ、とくにそこはルール違反らしいよと思いながら、屈む男性の無事を祈りつつ、通り過ぎて帰ったのであった。大丈夫そうではあったけど…ていうかいったい何があったの。

 

以上、3連発びっくりな日の記録でした。

 

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アイキャッチ画像というのがあったほうがよいと思い(FBでも言われた、あと意外にアクセス数に関係するらしいですね)、毎記事なにか写メを入れることにしてみようかと。とはいえ撮るべきものが特に見当たらないので、もうやめたほうがいいと思いながらやめられない、子どものころから買い集め続けている雑貨類シリーズ。

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大学院生だったころに露店で買ったピンバッジ。文具好きならご存じでしょう、フランスの名ノートメーカー「クレールフォンテーヌ」のものです。ああかわいい。筆箱につけています。ネット情報によると、フランスでは1990年代、ノベルティとしてピンバッジをつくるのが大流行したらしい。

【ブログ&コラム】メイソン・カリー著『天才たちの日課』読んでます。

今これを、すきま時間に楽しんでいる。

すばらしい仕事を残した「天才」たちが、日々をどのように過ごしていたか、仕事の時間をいつごろに設定していたか、睡眠や食事の習慣はどのようなものだったか、等を、自伝や秘書・弟子の記録をもとに集めている本。原題はDaily Rituals: How Artists Work。こちらのほうがしっくりくるかも。名を成した人々をひとくくりに「天才」と呼ぶのは、私は抵抗がある。

いやー、それにしても。他人の日常フェチには、めちゃくちゃ面白い本だ。ベートーヴェンボーヴォワールフェリーニ等芸術家を中心に、ベンジャミン・フランクリンらの日々も登場する。フランクリンすごかった。ここまで習慣形成に熱心な人だったとは。すべてを自分の意志でコントロールし、それを続け、自動化されればより良い自分になれるのだ、自己変革できるのだという確固たる信念。しびれます。本の冒頭には彼自作の理想の一日の表も出てきて、そこに音楽のことも書いてありうれしくなった。

1人あたりの長さはとても短く、すきま時間に読むのにはぴったり。パックする間にちょっと数人分、といった読みかたをしている。

そしてこの本、ネットで書評コメントをちょろっと検索したところ、「天才もわたしたちと同じ、けっこう不摂生なんだ」「朝の時間がやはり大切」「休養なくしてよい仕事はできない」…他にも様々あり、ささるところが読者によってかなり違うのが面白い。「誰もみな、読みたいように読んでいる」ということを改めて思わされる。

このところ趣向を変えて、乱読上等というノリで同時並行的に複数の本を読んでいる。楽しいけど、途中で頓挫している本があるのはやはりいささか気になる。うまいこと自分にあった方法をみつけて、読書量ふやしたい。

 

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【ブログ&コラム】書籍『初等音楽科教育 (MINERVAはじめて学ぶ教科教育)』が出版されました

昨日に引き続きもうひとつ、この春に出版された書籍のご紹介です。少し(1ページ)なのですが、こちらでも執筆をしました。

吉田武男監修、笹野恵理子編著『初等音楽科教育 (MINERVAはじめて学ぶ教科教育)』(ミネルヴァ書房)

目次:

監修者のことば
はじめに
第I部 初等音楽科教育の理念と理論
第1章 初等音楽科教育の意義
第2章 初等音楽科教育のねらい
第3章 初等音楽教育の歴史 
第4章 初等音楽科教育の学習指導の内容
第5章 初等音楽科教育の学習指導の計画 
第6章 初等音楽科教育の評価 
第II部 初等音楽科教育の実践
第7章 初等音楽科教育の授業づくり
  第8章 初等音楽科教育の実践1――A表現(1)歌唱
第9章 初等音楽科教育の実践2――A表現(2)器楽 
第10章 初等音楽科教育の実践3――A表現(3)音楽づくり
第11章 初等音楽科教育の実践4――B鑑賞
第12章 初等音楽科教育の実践5――〔共通事項〕について 
第13章 初等音楽科教育の実践6――各活動の関連
第III部 初等音楽科教育の課題と展望
1 多様な音楽文化の諸相と音楽教育
コラム1民謡をうたう
コラム2能はおもしろい
コラム3私とサムルノリ
コラム4古楽が捉える音楽における大切なもの
2 多様な学校音楽教育の諸相
コラム5アウトリーチ活動と音楽教育 
コラム6生涯音楽学習とミュージッキング
コラム7日本人学校における音楽教育
コラム8震災と音楽教育
3 音楽科教育のICT化
4 音楽科教育に求められる教師の力量
第IV部 初等音楽科教育の教材研究
1 指揮と伴奏
2 楽 典  
3 教材研究
第V部 初等音楽科教育の資料研究
1 学習指導案
2 特色ある音楽教育 
3 音楽史・音楽教育史年表
4 小学校学習指導要領 音楽
事項・人名索引/楽曲索引

私は、「第III部 初等音楽科教育の課題と展望」の中の「1 多様な音楽文化の諸相と音楽」で、ポピュラー音楽についての1頁を担当しました。1ページのなかで、ポピュラー音楽の特色を多角的に述べつつ(カバーやパクリのことも、ワードとしてちょこっと入れました)、授業づくりのヒントになることをできるだけ盛り込もうと工夫しました。授業構想を練るときの発想のきっかけになるようなところがあれば嬉しいなあと思っています。

まだこちらは私も全ては読めていませんが(すみません)、教科教育法のテキストとしてだけでなく、辞書のように各トピックについて索引を引き、使うこともできそうです。コラムがふんだんにあって、読み物としても楽しい。ハンドブック的な側面があるので、もしかするとすでに教職に就かれている先生方にも活用して頂けるものかもしれないと感じています。

この春は、ありがたいことに参加させて頂いた2冊の本が相次いで出版されました。奥付のページを開くと、論文・書籍でお名前を知っていたり、学会でお世話になったりしている先生方の名前があり、その並びに自分がいることが光栄だなと素直に思います。10年前の自分が知ったら、さぞびっくりするだろうなあと。これからも精進します。

 

 

【ブログ&コラム】書籍『新しい小学校音楽科授業をつくる』が出版されました

この春、新しい小学校学習指導要領に対応した書籍が続々出版されていますが、私もこちらの本の執筆に、共著で参加させて頂きました。

高見仁志編著(2018)『新しい小学校音楽科の授業をつくる』ミネルヴァ書房

目次:
まえがき
序 章 これからの音楽科教員に求められるもの「教科専門」と「教科の指導法」の融合
第1章 これからの小学校音楽科が目指すもの新学習指導要領の目標と内容等をもとに
第2章 学校教育における歌唱指導
第3章 器 楽
第4章 音楽づくり
第5章 鑑 賞
第6章 音楽科とICTの活用
第7章 異文化の音楽
第8章 日本の伝統音楽
第9章 音楽科におけるアクティブ・ラーニング
第10章 音楽科の学習指導案
第11章 音楽科の学習評価
第12章 音楽科授業成立の鍵を握る学級経営授業を成功に導く大切な一瞬
第13章 校内の全教師が音楽科を重要視する学校いかにして音楽文化を学校に根づかせるか
第14章 音楽科と保幼小連携
第15章 指揮法
第16章 音楽理論
第17章 共通教材と伴奏譜
資料 小学校学習指導要領 (平成29年3月)(抄)
人名索引/事項索引

完成した本書を読みながら私も勉強していますが、音楽科の学習指導要領について、授業構成法について、また今日的課題について網羅的に学べるほか、採用試験に直結するような音楽理論の基礎知識も確認・学習できるようになっています。

私は第4章の音楽づくりと、第14章の保幼小連携を担当しました。専門的な内容と、すぐに実践で使える楽しいアイデアを、絶妙のバランスをねらって織り交ぜ、書いたつもりです。各章の末尾には、ちょっと私的にアツいことを書いてみたりもしました。法令の文言、年号、譜例、図表等、細かい点を何度も何度も確認して校正作業をした(とはいえ、編著の高見先生のお力がほとんどです。本当にありがとうございます)こともあって、分量以上の熱量がこもっている気がしています。

かつて、自分の先生から、「論文以外の文体も少しずつ身に付けなさい。書き分けられるようになるといいよ。」と言われたことがあり、書籍の執筆に参加させて頂くときはいつもそのことを考えながら取り組みますが、なかなか難しいです。少しでも、多くの人にとって読みやすい、かつ骨のある文章になっていればいいのだけれど。

お手に取って頂けたら嬉しいです。

 

【ブログ&コラム】毎日コツコツアコガレと、健康ネタ

前回のブログから1ヶ月以上たってしまった。どうしたら習慣づくのか。

習慣づけなくても別にいいし、誰も求めていないのだから書かなくてよい気もするのだが、やはり私にはどうしても、毎日コツコツ日記を書いている人達への憧れがある。というか、日記でなくても、「毎日コツコツ」に対する憧れとコンプレックスがある。

毎日コツコツランニングをしたり、楽器を弾いたり、小説を書いたり、作曲をしたり、ヨガをしたり。私の周りにはそういう人がいる。そういう人たちに共通する、リズムよく生産的に毎日を過ごしている感じ。楽しそうに、かつストイックに自分を律しているあの雰囲気。素敵。そんな「毎日コツコツ」の、私のなかでの典型が、日記を書くということなのだ。

ああ、「毎日コツコツ」な人に見えている世界を、私も見てみたい。

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今日は家で仕事をし、終わったらジムに行くつもりで、朝から運動着を着ていたのだが、仕事が終わらず行けなかった。苦し紛れに、床を雑巾がけした。結構運動になるもんだな。とくに二の腕には効いている気がした。汗をかき、家もきれいになって一石二鳥。これからもたまにやろうと思う。

健康管理関連といえば。

最近、ルイボスティーを飲み始めた。我が家では2ピッチャー体制で麦茶をつねに用意することにしていたのだが、その内の1ピッチャーをルイボスティーに変えてみたのだ。お通じによく、肌もきれいになるらしい。味にくせがあるけれど、冷やしてしまえばあまり気にならないので、朝からがぶがぶ飲んでいる。始めて2週間程度、効果のほどはまだちょっと分からないが、確かにおなかの調子はいい気がする。

一時調子が低迷し、お漬物から謎のえぐみが出ていた糠床は、完全復活した。鷹の爪を入れたり、昆布を入れたりなんだりしてみたが、結局、毎日かきまぜるのがよいという結論。冷蔵庫保管なので、2、3日に1回まぜればいいんじゃないかと思っていたが、やはり手をかけてあげると味がぜんぜん変わるな。ちょっと糠氏に自立してほしい気もするが、問題解決してほっ。

ところでこんなことを毎日書いて見える世界などあるのだろうか。ねぇ。