モグラボラトリ日誌

森薫のウェブ・サイト「モグラボラトリ」のブログ&コラムです。

【ブログ&コラム】ナメてくる奴が悪いという話。

成績をつけながら思い出した、自分がいつの間にか克服していた、かつての悩みについての話。夏休み期間なのでちょっと語りたい。誰かの、特に若い女性大学教員の参考になればと思う。

 

大学教員という仕事には「同世代に教える」「年上に教える」イベントが発生する。この時、教員が若く、さらに女だと、わけの分からんクレームをしてきたり、特別扱いを求めてきたりする学生が現れる。他の教員には申し立てないような内容を、いわば「吹っかけて」くる。メール返信までの日数とかテスト内容とか課題の期限とか。

私は20代で幸運にも大学教員になった頃、自分の授業でそうしたことが起き、他の先生のところでは同じ学生がおとなしくしていることにショックを受けた。そしてもちろん自分を責めた。自分の経験不足、貫禄の無さを呪った。自分の授業を録音し、喋り方が軽いのではないか(実際軽い、それが何か?と今は思っているが)、授業内容がそもそも薄いのだろうか(これはそんなことないと今は自負している)と悩んだ。

とくに、向こうにも一理ある場合が酷い。向こうの一理を認めると、そこから芋づる式に不当なクレームが続くようになる。ある時は寝られなくなった。しかし、これはいつからなのか明確には分からないが、フェミニズムを学び、年を取って図太くなり、次第にこう思うようになった。

「他人が自分をナメてくる現象は、自分にはコントロールできない。が、ナメられた後どう対処するかはコントロールできる。」

「ナメられる私が悪いのではない。ナメてくる奴が悪い。」

私は不当なクレームに対して、毅然と且つきめ細かく対応することを心掛けた。文面を優しくしない。淡々と、冷静に、向こうに付け入る隙は与えない。あまりに酷ければ事務の方にも共有し連携し情報を共有する。幸いこれまで事務の方には、そういうケースではいつも、とても協力的に助けて頂いてきた。

時々同僚の先生たちに泣き言をこぼし、慰め励まして頂いた。女性の先生たちは皆、同質の経験をしていた。前任校は女性の教員が比較的多く、本当にありがたかった。

そうこうしているうちに10年近くたち、気づけばそうした事案自体がほとんど発生しなくなった。何より変わったのは、たまにそういうクレームを目にしても、心がほとんどざわつかなくなったこと。アラアラお久しぶりですねってなもんである。いつものフローで、冷静に淡々とやるだけである。

話が長くなったが、若い教員たち、とくに女性教員が、理不尽にそうした経験をさせられている、他の教員よりも多くさせられているということをまずは知ってほしいと思う。授業評価アンケートに「授業内容は良かったが、先生が若くて信用できない。」って書かれたりするからね。Twitterの匿名アカウントからリプライで、明らかに履修者という奴から誹謗中傷されたりするからね。冗談じゃねえ(ずっと覚えている粘着質な私)。

そして、当事者である若い教員、とくに若い女性教員の皆さんには、自分を責めないでほしいと切に思う。正当なクレームにはもちろん誠実に対応するべき、授業を磨くべきだが、それ以外で、自分が悪いのではないかと疑心暗鬼にならないでほしい。自分の専門性に自信を持って(これは今も難しいが)、しっかり睡眠をとって(これもムズ)、やっていきましょう。

Twitterとか見ていると、女性の大学院生も、ゼミや学会で同じような経験をしているし、幼小中高の先生たちも、保護者対応で同じような経験をしていますね。あなたがナメられているのは、ナメてくる方が悪いのだということ、何百回でも伝えたい。あなたのことをちゃんと見てくれている人は見ているから、ちゃんとガス抜きして、他の同業者やスタッフと連携して、やっていきましょう。そうだ、後期の授業で学生にも伝えよう。これは、歳取るってそんなに悪いもんでもないぜ、というメッセージでもある。

というわけで、採点の祭典の合間に、ふと思い出した話でした。