モグラボラトリ日誌

森薫のウェブ・サイト「モグラボラトリ」のブログ&コラムです。

【ブログ&コラム】新年度の緊張と目の不調、軽率な投稿。

新年度が始まってだいたい3週間。授業が始まって1週間経った。教職大学院の授業が今期はたくさんあり、緊張度の高い年度スタート。でも院生(現職の小学校教諭の方)から問題意識について話してもらうのは面白い。私にとっても新しい視点をもらえる時間になっている。

ここ数日は右目の腫れに悩まされている。目自体が腫れているのではなく、右目の下瞼がぶよぶよに腫れて、皺が数本目頭から下向きに伸びているという症状。前に処方された目薬をさして、様子を見ている。

今、2つ、いつも書くのとは違うタイプの原稿を抱えている。昔師匠に言われた「複数の文体を持つことが大事だよ」を思い出すが、なかなか難しい。ブログで練習しようか。〆切はどちらも今月末だけど。

ブログは続かないがTwitterはなんだかんだで投稿しているので、きっとブログのハードルを勝手に自分で上げているのだろう。今年度は軽率に、とっちらかった短い文を投稿してみようと思う。

最後に写真。先日の食事である。3月頃から、モッツァレラチーズをちぎって塩コショウオリーブオイルをかけて食べるのにはまっている。切るよりちぎったほうがおいしい。かためで弾力のあるモッツァレラが好き。このとき食べたのはちょっとやわらかかった。

写真のときはトマトと並べてカプレーゼっぽくしている。和食器にイタリアンを盛るのがオシャレなんじゃないかとふと思ってやってみたけどかなりイマイチ。私の盛りつけセンスの問題か。ふつうにガラスの平皿にのせればよかった。

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【ブログ&コラム】ナメてくる奴が悪いという話。

成績をつけながら思い出した、自分がいつの間にか克服していた、かつての悩みについての話。夏休み期間なのでちょっと語りたい。誰かの、特に若い女性大学教員の参考になればと思う。

 

大学教員という仕事には「同世代に教える」「年上に教える」イベントが発生する。この時、教員が若く、さらに女だと、わけの分からんクレームをしてきたり、特別扱いを求めてきたりする学生が現れる。他の教員には申し立てないような内容を、いわば「吹っかけて」くる。メール返信までの日数とかテスト内容とか課題の期限とか。

私は20代で幸運にも大学教員になった頃、自分の授業でそうしたことが起き、他の先生のところでは同じ学生がおとなしくしていることにショックを受けた。そしてもちろん自分を責めた。自分の経験不足、貫禄の無さを呪った。自分の授業を録音し、喋り方が軽いのではないか(実際軽い、それが何か?と今は思っているが)、授業内容がそもそも薄いのだろうか(これはそんなことないと今は自負している)と悩んだ。

とくに、向こうにも一理ある場合が酷い。向こうの一理を認めると、そこから芋づる式に不当なクレームが続くようになる。ある時は寝られなくなった。しかし、これはいつからなのか明確には分からないが、フェミニズムを学び、年を取って図太くなり、次第にこう思うようになった。

「他人が自分をナメてくる現象は、自分にはコントロールできない。が、ナメられた後どう対処するかはコントロールできる。」

「ナメられる私が悪いのではない。ナメてくる奴が悪い。」

私は不当なクレームに対して、毅然と且つきめ細かく対応することを心掛けた。文面を優しくしない。淡々と、冷静に、向こうに付け入る隙は与えない。あまりに酷ければ事務の方にも共有し連携し情報を共有する。幸いこれまで事務の方には、そういうケースではいつも、とても協力的に助けて頂いてきた。

時々同僚の先生たちに泣き言をこぼし、慰め励まして頂いた。女性の先生たちは皆、同質の経験をしていた。前任校は女性の教員が比較的多く、本当にありがたかった。

そうこうしているうちに10年近くたち、気づけばそうした事案自体がほとんど発生しなくなった。何より変わったのは、たまにそういうクレームを目にしても、心がほとんどざわつかなくなったこと。アラアラお久しぶりですねってなもんである。いつものフローで、冷静に淡々とやるだけである。

話が長くなったが、若い教員たち、とくに女性教員が、理不尽にそうした経験をさせられている、他の教員よりも多くさせられているということをまずは知ってほしいと思う。授業評価アンケートに「授業内容は良かったが、先生が若くて信用できない。」って書かれたりするからね。Twitterの匿名アカウントからリプライで、明らかに履修者という奴から誹謗中傷されたりするからね。冗談じゃねえ(ずっと覚えている粘着質な私)。

そして、当事者である若い教員、とくに若い女性教員の皆さんには、自分を責めないでほしいと切に思う。正当なクレームにはもちろん誠実に対応するべき、授業を磨くべきだが、それ以外で、自分が悪いのではないかと疑心暗鬼にならないでほしい。自分の専門性に自信を持って(これは今も難しいが)、しっかり睡眠をとって(これもムズ)、やっていきましょう。

Twitterとか見ていると、女性の大学院生も、ゼミや学会で同じような経験をしているし、幼小中高の先生たちも、保護者対応で同じような経験をしていますね。あなたがナメられているのは、ナメてくる方が悪いのだということ、何百回でも伝えたい。あなたのことをちゃんと見てくれている人は見ているから、ちゃんとガス抜きして、他の同業者やスタッフと連携して、やっていきましょう。そうだ、後期の授業で学生にも伝えよう。これは、歳取るってそんなに悪いもんでもないぜ、というメッセージでもある。

というわけで、採点の祭典の合間に、ふと思い出した話でした。

 

【ブログ&コラム】雑記という他無い日記

今日から3連休らしい。卒論指導をしてしまった。申し訳ない。祝日だったのに。気づかないで設定してしまったのか、分かってて同意のもと入れたのか、それももう忘れている…たぶん前者…どうだっけ…

期末課題の提出管理に関するあれこれをやって、学生からの質問に対応して、近所のラーメン屋に行き、帰ってきて、冷蔵庫にある食材をできる限りぶち込んだミネストローネをつくり、また仕事をして、現在に至る。

連休は怖くて外に遊びに行けないので(本当は銀座松屋ミッフィー展に行きたかった。グッズ買いまくりたかった…せめてオンラインショップでグッズ買ったろかと思ってサイトを覗いたら同じことを考えている人がたくさんいたらしくダウンしていた)、3日分ぐらい大鍋にミネストローネがあるのは嬉しい。授業準備もまだまだ立て込んでいるし。

明日は午前中に、新しいフライパン2つと、玉子焼きフライパンが1つ届く。どれも10年くらいつかってテフロンがほぼはげている状態なので新調する。そしてキーボード掃除用のスプレーとブラシとスライムも届く。キーボードマニアだがメンテに無頓着だったので、よく見たらものすごく汚い気がして昨日慌てて掃除グッズを買った次第。使うの楽しみだなー。

はよ梅雨明けろー。

 

【ブログ&コラム】質問に答えるということ

期末に差し掛かっているので、学生からLMSを通じて課題や試験に関する問い合わせが相次いでいる。今期の私の授業の履修者数は、オムニバスも含めると700名くらいいるので、Eメールの受信トレイはLMSから転送されてきた問合せで埋まるような状況。

それでせっせと返事を送りながら思うのだが、質問に答えるということは、学生に質問するということでもある。本来は。

なぜその質問をしてきたのか
自己ベストな課題を出したいのか、単位がとりあえず欲しいのか
彼/彼女の理解度はどの程度なのか
より大きなスケールでの「知りたいこと」は何なのか…

それらによって、質問に対する答えや答え方は、少しずつ異なってくるはずなのだ。

私は別にそれらを、質問してきた学生に対して微に入り細に入り聞きたいのではない。基本的には、同じ質問には同じ答えで返す。でも対面して質問に答えていれば、何となく、それらのことが、表情や返事から伝わってくる。その余剰ともいえるやりとりが、我々の信頼関係をつくっているのではないか。それらのことを一切知らずに、一問一答をオンラインですることは、味気ないし、もっといえば危ういことではないか。

でもここのところは毎日、その一問一答を繰り広げている。もしかしたら、ZOOMで質問タイムとか設けて、学生が口頭で質問できるような時間を確保するのがいいのかな。分からん。そして自分にそんなに余裕があるのかな、という不安もある。とにかく、良心が蝕まれていくようなこの感覚を、麻痺させず、解決につなげないといけない。

 

 

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授業動画のサムネイル。まだまだある。たくさんやったなあ。

【ブログ&コラム】オンライン授業の覚え書き

授業が始まって、3週目を終えた。慣れてはきたが、やはり終わるとへとへとになる。もう少し肩の力を抜くのを来週の課題としよう。いくつかミスも出てきた。授業をもう10分長いつもりでやってしまったり、録画ボタンを押しそびれたり。

学生のコメントシートを見ていると、彼らは思ったよりもスムーズにこの状況に適応しているようだ。まあ教員に見せるコメントシートだから、色々と気を遣って書いているのだろうけれど。そして、授業内容についても、授業方法についても、コメントを見る限りでは彼らの実態と概ねフィットしているようで、ちょっとずつ手ごたえを感じはじめている。

時々コメントシートに、「お会いしたら〇〇と▽▽の関わりについて、もっと深くお話してみたいです」とか、「今日授業で先生がされていた××を、自分でもやってみたことがあります。いつか見て頂きたいです」とか書かれている。本当にそうだねぇと思う。会えることを楽しみにしてくれているのが素直にうれしいし、ありがたい。

 

そういえば、私のオンライン授業では、学生のカメラオンは任意でと話している。とはいえ数人だけでも顔を出してくれると、授業者としてはとても助かる。抽象度の高い話や学生が初めて触れるであろうトピックを扱う際に、学生の表情が手がかりになるから。

で、協力してくれる人がいるとありがたいです、と授業の開始時に言うと、ぱぱぱっとオンにする学生が続出する授業と、なかなかオンにする学生が出ない授業があって面白い。なんとなく、専攻分野によって傾向が分かれる気がしている。しっかり計測したわけではないが、フットワークの軽い人の多い専攻と、思慮深い人の多い専攻があるような。どっちもそれぞれいいんです。

 

平常時は、授業を教室で行い、歩いて研究室に帰るという空間の移動がある。実はそのおかげで気分を切り替えられていたのだなあと改めて気づかされる。今期は授業の準備中も授業中もその後の仕事でもずっと、同じ机に向かっているので、切り替えにくく煮詰まりやすい感。

でも徐々に、いくつか、気分の切り替えに寄与する行為を見つけはじめた。まずマイクをPCから引っこ抜いて、マイクスタンドを部屋の隅に移動させる行為。これが、私のなかで教室―研究室間の移動にあたる儀式となってきた。それから、腕時計をして授業をして、終わったら外すというのも。

この状況下では特に、自分のなかに起こる変化に対して自覚的でありたいと思っている。自分にとって効果的な動きを見つけたら、それをうまく生かしていこうと思う。

 

【ブログ&コラム】あの日常、この日常

自宅での仕事にも慣れてきた。壁掛け電波時計Amazonで購入したことで、より仕事場感がアップした。時間への意識が強まるのは良い。

しかし仕事場にいないので、色々な不明点の解決に時間がかかって仕方ない。ただでさえ着任1年目、初めて聞く/目にする用語やルールがたくさんある。毎回、メールで講座の先生たちに聞くのが申し訳ない。お仕事を増やしている。

着任したらやってみたいことがたくさんあったなあと思う。これを輪読しようとか、こういうワークを授業でやってみたい、とか。もちろん諦めたわけでは全然ないが、やってみたいと思っていた、その想像とはずいぶん違ったかたちでやることになる。それを残念に思いすぎないことが大切だろう。その方が新しいアイデアも湧くのだろう。

ここのところ進めている論文のため、自分の研究メモ in Dropboxを検索していたところ、10数年前にまとめた某文献のWordファイルが出てきた。修士の1年生がよく分からずに文章を書き写しているだけのものなのだが(理解してない感がはっきり伝わる要約)、今の私には役立つ内容が含まれており、なんでも取っておいてみるもんだなと思った。確か256MBのUSBかなんかに入れていたんだよな…それでも学部時代はフロッピーだったわけで、たくさん入るなあとか感心していたような。

いやしかしまあ。あの頃は、感染症で外に出られない毎日など、1ミクロンも想像しなかった。半年前も、想像していなかった。ああ。

Wordファイルの話で思うに、時間が経って同じものを見ても、人間は同じようには感じない。コロナ以前とコロナ以後でも同じことがいえるわけで。1年後か数年後か、戻ってくる日常は、かつてあったものが「戻ってくる」のではない。別の日常が、始まるのだろう。私の慣れ親しんだ「あの日常」は、もうずっと会えないものになった。

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アイドロッパー式の万年筆。

【ブログ&コラム】在宅勤務の熟達化

今日は在宅勤務。だんだんうまく時間配分できるようになってきた。To doリストを朝ダーーーっと書いて、優先順位を考えずに上からつぶしていく。ストップウォッチで今後も反復されるタイプの作業の所要時間をはかり、タイマーで時間をブロックする。

まだ雇用関係の手続きが残っている。私はそういうたぐいのことが頗る苦手なのでまたもう数日かかりそう。意味をすべて理解しようとするせいだ。全部コントロールしようとしないこと。

新しいゼミ生とのやり取りが始まっている。研究テーマや関心のあることがメールに書かれており、とてもわくわくしてくる。このような状況下でもベストの伴走者であるために、私にできることをする。

今年度は新規の授業が多く、立ち上げにはやはり大きなエネルギーを要する。前任校と違ってオムニバスの授業が多く、スケジュールの把握にさえ時間がかかってしまう。焦らず、目の前のことを進めるほかない。

研究が滞っている。明日は論文を読むこと、原稿を書くことにしっかり時間を使いたい。

 

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 数年前に買った、限定版のかっぱえびせんロルバーンを、ゼミ用ノートにした。やめられない止まらない、そんなゼミ(どんなゼミだよ)にしようと願いを込めて。

今日はニュースを見ずに過ごすようにした。キャッチアップは大切だが、精神衛生上、そういう日も作ることにする。緊急事態宣言を出す意向を表明、とかいうとんち問答めいた(?)文言に心を揺らされすぎないように。