モグラボラトリ日誌

森薫のウェブ・サイト「モグラボラトリ」のブログ&コラムです。

【ブログ】雪かきには別の意味もあった

6月は普段の授業に加えて通信課程の集中講義があり、また外回り系の仕事や〆切等もあって盛りだくさんである。毎日ブログを書くというプランはあっというまに頓挫した。新しい習慣をつくるということも、プロダクティブに生きるということも、私には本当に難しい。

今日はSpotifyを始めた。たしか堀正岳さんの記事かTweetを読んで、非常に気になっていたのだ。これはよいなあ。新しい音楽と出会える予感。どこかのネット記事で、新しい曲を発掘するのは24歳がピークで、その後は馴染みのもののリプレイリプレイになってゆくのだと読んだのだが(これです)、私は今のところ、というかここ2.3年、知らなかった音楽を知ることに積極的になっている。それをさらに活性化してくれそう、Spotify

やることがたんまりあって忙しい忙しいと思いながら、村上春樹の第何次めかのブームも来ている。今は『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいる。上巻でかの有名な「文化的雪かき」が登場、おおおと感動する。そして、ついに会えたよと思ったら、その後も何度も何度も出てきた。なるほど、そういうことだったのか。初めて知りました。

村上春樹の小説を読んでいると、美味しそうな洋風の料理名や食材名が出てくる。スモーク・サーモン・サンドイッチとか、ホース・ラディッシュマスタードとか。ペペロンチーノみたいなのもつくっていたかな。主人公は、手際よくとても美味しそうに料理をつくるし、コーヒーを淹れたりもできる。洋服を畳んだり洗濯したりも、けっこうしている。

ダンス・ダンス・ダンスは1983年の設定になっている。こんなに料理や家事全般を日常の流れのなかでやる男性は、当時今よりもさらに珍しかっただろうと思う。こうしたキャラクターを当時の人々はどのように受け止めたんだろうか。ちょっと気になる。メタ読書沼。

 

【ブログ】ミニミニ楽器教室

先週のことになるが、保育園から遠足で本学にやってきた子どもたちに、ミニミニ楽器教室をひらいた。企画・実施は森ゼミ3年生。遠足自体は、保育の先生方を中心に毎年おこなっているもので、森ゼミはそれにお声かけ頂いて参画したというかたち。

 

このTweetの、学生が子どもたちにチューバを見せている写真が、我々の実施の様子なのだが、こうして見ると、子どもたちが身を乗り出してくれているのが分かる。嬉しいなあ。

音色を聴かせようと、楽器庫に隠してあったチューバを持ってきたとき、子どもたちが「大きい!」「きんぴかだ」「(自分たちの姿がチューバに)うつってるー」と口ぐちに言いはじめた。それに答えてゼミ生がチューバを持って立ち上がり、子どもたちの方に向けた。チューバに向かって「おーい」と手をふる子どもたち。とても面白い光景だった。

人は音楽をするとき、音を聴いている・出している、だけではない。見たり、考えたり、言語化したり…ミクロな、種々雑多な行為の集積として、音楽実践がある。あたりまえのようだが大切な前提が顕著にあらわれたこのシーンを、学生がどのように捉えたか。どのように自分の保育・教育にいかそうと思うのか。これからのゼミのなかで話し合っていきたい。

【ブログ&コラム】未就園児教室@幼稚園

今日はとある幼稚園にて、未就園児と親御さん向けの音楽教室をさせて頂いた。20分のワークを2回、間に20分程のお休みをはさむという構成。この時間構成は初めてだったけど、子どもたちの様子を見ているとちょうどよいのかもしれないと感じた。集中の度合いからもそうなんだけど、20分の休憩をはさんでもういちど教室に入ってくるとき、子どもたちの迷いのなさ、緊張度合が全然違っていて。ワークへの参加のしかたも、後半はひとりひとりの個性がよく出ていた。勉強になった。

親御さんには、子どもの発するうたや、音楽的な行為には、こんな意味があるとか、わらべうたにはこんな特徴があるとかいったお話もすこしさせて頂いた。とても熱心に聞いてくださって嬉しかった。なかには、「ああ、たしかにやってるやってる」と、おうちでのお子さんの様子を振り返っていらっしゃるお母さまもいて。

子どもが生活のなかでくりだしている音楽的な表出・表現は、親御さんにとってきっとたまらなくかわいいものだろう。他人の私からみても悶絶のかわいさだから。でもそうした表出・表現は日常のそこここにたぶんあまりにたくさんあふれているし、子育てはきっと日々激務なので、その行為が音楽的であるとかないとか、そのうた(的な発話)に何らかの意味があるとかないとか、考える機会はそれほどないのではないかな、と思ったりする。

そんなこともあって、私はいつからか、こういう教室をするときには、子どもに楽しんで参加してもらおうとするだけではなくて、子どもと音楽をめぐる話を、なんとかチャンスを見つけて、親御さんに少しでもお届けしようとするようになった。もしかしたらほんの少しでも、日々の暮らしのなかで思い出されて、それが親子の何かにつながったら。僥倖というほかないことだ。

面白かったこと、発見がたくさんあったので、次の機会に生かしたい。

【ブログ&コラム】思わぬところにニキビ

先週半ばから左目の目頭にずっとゴミがあるような感覚があり、ごろごろと痛痒くてしかたなかった。木曜深夜にその痛痒さで目が覚め、これゴミじゃないんじゃないか?と。鏡に向かい、左目の上瞼をひっくり返してみたら、瞼のキワに真赤なぶつぶつが3つできていた。大のおとなが1人で「うわぁっ!!!!」と叫び、布団で震える丑三つ時。

昨日朝イチで眼科に行ったところ、まつ毛の毛根が目詰まりしてできた、いわばニキビらしい。ニキビがこんなところにできて、まばたきのたびに眼球をこすっているなんて衝撃。しかし私は10代を、大量に発生するニキビとの戦いに費やした人間なので、またお前かいと、げんなりしつつも不思議に懐かしさをおぼえた。

2種類の目薬の他、瞼の裏に軟膏を塗っている。1週間程度で良くなるらしい。もうすでに、酷い痛痒さはなくなってきた。喉元すぎればなんとやらで、調子が戻るとすぐ今回のことを忘れそうだが、目は大切にしないといけないなあと改めて。

全然話が変わるが、昨日は同僚の先生方に、帯状発疹がいかに恐ろしいかについて聞いた。なんとびっくり、そこにいた私ともうおひとり以外の4人が皆経験者だという。どうやら30代後半くらいからは特に警戒が必要らしい。ストレスが大敵だとか。気をつけたい。

適当に、というか放蕩な暮らしをしていても健康が保てた時期はどうやら終わった。積極的に休みを取らないといけないし、食生活にも気配りしないといけない歳なのだろう。これまでの人生を振り返ってみると、私がもっとも規則正しい生活をしていたのは、恥ずかしながら小学生の頃だ。すべて親に管理してもらっていた頃がもっとも規則正しかったなんて…情けないなあ。

【ブログ&コラム】「○○してあげる」は言わないと決めている

どうしても気になっていること。

最近、日大アメフト部の騒動、というか事件について、ふとしたときに考えてしまう。教育に携わる人間の1人として、憤りや心配、共感、驚愕、賞賛、色々な気持ちが交錯する。

ただ、どうしても気になることがある。それは事件に直接関わらないことなのだが、どうしてももやもやしてしまうのでここに書いてみたい。

私が気になっているのは、日大を批判する/しないに限らず、メディアに登場するアメフト有識者やそうでないコメンテーターの大人たちが、学生へのケアや教育について、「○○してあげないといけない」「××してあげるべきだった」という言いかたを割とふつうに使うことだ。

大学生に日々接していて、私が意識してできる限り使わないようにしている言い方のひとつが、この「○○してあげる」話法である。この言い方、私がうがちすぎなのかもしれないが、正しい道・あるべき道を知っている大人が、何も知らない子どもに対して何かを上から与えてやる、というニュアンスが潜んでいる気がしてならない。

私はこれが最善策だと思う、だからこの方法を「提示」する。でもそれをするかしないかは学生が判断することである。そういう関係性やコミュニケーションを私は志向している。それこそが、社会に出ていく学生に対して教員が取るべき態度であると思っている。

内心は、ゼミ生のことなんてかわいいああかわいいと思っているし、「これしてあげたいあれしてあげたい」的な感情は私の中にあると思う。しかしそれを表明するときには、できる限りの配慮をしなければならない。アイデアや方法論は上から与えるものではなく、同じ位置から向き合って提示し、する・しないの決断は彼らにゆだねられるべきものではないだろうか。

学生がどう受け取っているかはわからないが、私はそう考えて、いつも気を付けている。メディアに登場する大人たちの「○○してあげる」の物言いは、極端な見方をすれば、学生の自由を奪い判断力を失わせるものであって、今まさに批判されている日大アメフト部の指導方法と、通じてしまうおそれもあるのではないか。言い過ぎかもしれないが…。

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集めすぎ雑貨シリーズ。

 

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 これは、ペットボトル飲料や缶詰についてきた付箋。10年くらい前のものもあり、かわいくて使えないわと取っておきすぎて、ほとんどが粘着性を失っている。最近もういい加減に、と思ってせっせと色々なことに使っているが、はがしたあと、全然くっつかない。切ない。あの頃さっさと使っていれば、こんなことにはならなかったのに。

【ブログ&コラム】不思議な日の話

数日前、疲れ果てて道を歩いていたら、味わい深いシーンに3連発で出くわした。不思議なことに、疲れているときほど面白いものを見る気がする。ふらふらして注意力散漫なせいだろうか。

 

①保育園の前の通りにて

タクシー運転手であるおじいちゃんが、孫の迎えにタクシーでやってきているところに遭遇。孫くんは大変誇らしそうに、運転手ルックのおじいちゃんの後ろを歩き、ぴかぴかに磨かれたタクシーにずんずんと向かっていく。友だちからかけられる「◎◎くんばーばーい」「おじいちゃんもばいばーい」という声に振り返って手をふる様が、なんというか意気揚々といったムード。

一方、おじいちゃんはどうやらふてくされていた。お迎えするのが嫌なのかもしれない。こんなに嬉しそうにしている孫を見て、ちょっとくらい笑みでもこぼれんもんかねぇ、と思いつつ、しかしまあ、「孫を見て目をほそめるおじいちゃん。2人は楽しそうにタクシーに乗り込みましたとさ、めでたしめでたし。」とはいかないのがリアルな日常というものかもしれないなとも。それに、あんなに楽しそうについていくんだから、きっとおじいちゃんは本当は優しいのだろう。そうだといいな。

②準備中のスナック店頭にて

保育園から歩いて100メートルほどのところにあるスナックにて。「準備中」の看板の上に、とても奇妙な柄の犬のぬいぐるみが置いてあった。紫とグレーのゼブラ柄で、全体にラメが入っている。顔はかわいいが、あまりにもぬいぐるみらしからぬ柄に目を引かれた数秒後、お店の奥からママらしき人が出てきた。なんと、ぬいぐるみと共布の服をきていた。史上最も度肝を抜かれるペアルックであった。毎日おそろいなのだろうか。まさかね…いやもしかして…。

池袋駅改札にて

今日は面白いものを見たなあと思いながら電車を乗り継ぎ池袋へ。西武池袋駅の改札前はカップルのメッカである。四角柱状の柱がたくさんあり、その陰に、互いが見えないくらいの距離感で立つカップルたち。そのなかに、もめている2人がいた。もめているなと私が気づいた瞬間、女性が男性の股間をグーパンチ。おお恐ろしい。暴力はだめだよ、とくにそこはルール違反らしいよと思いながら、屈む男性の無事を祈りつつ、通り過ぎて帰ったのであった。大丈夫そうではあったけど…ていうかいったい何があったの。

 

以上、3連発びっくりな日の記録でした。

 

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アイキャッチ画像というのがあったほうがよいと思い(FBでも言われた、あと意外にアクセス数に関係するらしいですね)、毎記事なにか写メを入れることにしてみようかと。とはいえ撮るべきものが特に見当たらないので、もうやめたほうがいいと思いながらやめられない、子どものころから買い集め続けている雑貨類シリーズ。

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大学院生だったころに露店で買ったピンバッジ。文具好きならご存じでしょう、フランスの名ノートメーカー「クレールフォンテーヌ」のものです。ああかわいい。筆箱につけています。ネット情報によると、フランスでは1990年代、ノベルティとしてピンバッジをつくるのが大流行したらしい。

【ブログ&コラム】メイソン・カリー著『天才たちの日課』読んでます。

今これを、すきま時間に楽しんでいる。

すばらしい仕事を残した「天才」たちが、日々をどのように過ごしていたか、仕事の時間をいつごろに設定していたか、睡眠や食事の習慣はどのようなものだったか、等を、自伝や秘書・弟子の記録をもとに集めている本。原題はDaily Rituals: How Artists Work。こちらのほうがしっくりくるかも。名を成した人々をひとくくりに「天才」と呼ぶのは、私は抵抗がある。

いやー、それにしても。他人の日常フェチには、めちゃくちゃ面白い本だ。ベートーヴェンボーヴォワールフェリーニ等芸術家を中心に、ベンジャミン・フランクリンらの日々も登場する。フランクリンすごかった。ここまで習慣形成に熱心な人だったとは。すべてを自分の意志でコントロールし、それを続け、自動化されればより良い自分になれるのだ、自己変革できるのだという確固たる信念。しびれます。本の冒頭には彼自作の理想の一日の表も出てきて、そこに音楽のことも書いてありうれしくなった。

1人あたりの長さはとても短く、すきま時間に読むのにはぴったり。パックする間にちょっと数人分、といった読みかたをしている。

そしてこの本、ネットで書評コメントをちょろっと検索したところ、「天才もわたしたちと同じ、けっこう不摂生なんだ」「朝の時間がやはり大切」「休養なくしてよい仕事はできない」…他にも様々あり、ささるところが読者によってかなり違うのが面白い。「誰もみな、読みたいように読んでいる」ということを改めて思わされる。

このところ趣向を変えて、乱読上等というノリで同時並行的に複数の本を読んでいる。楽しいけど、途中で頓挫している本があるのはやはりいささか気になる。うまいこと自分にあった方法をみつけて、読書量ふやしたい。

 

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