モグラボラトリ日誌

森薫のウェブ・サイト「モグラボラトリ」のブログ&コラムです。

【ブログ&コラム】私の教育実習

このところ、保育所で実習をしている学生のところに行き、園長先生や実習担当の先生、実習している学生本人にお話を伺うという「実習巡回」をしている。日々の保育の激務のなか、実習に来ている学生をあたたかく見守って下さっている先生方には本当に、感謝しかない(最近はやりの「○○しかない」話法きらいなのだが、ここは本当にそうなので使っちゃう)。実習生を受け入れるというのは、もうものすごい負担増だ。

今日も、学生の個性に思いを寄せて下さり、日誌の書き振りも細かく見て下さっている先生とお話をしていて、ふと自分の初めての教育実習のときのことを思い出した。

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大学3年時の教育実習で、私は通っていた大学の附属中に行った。初めての実習だったし、その頃は教員になるという確たる思いもなかったし(これは今思えば受けいれて下さる学校に対してとても失礼な話なのだが)、一緒に行った同じ専攻の友人の中にはとても授業のうまい人がいたりもして、あまり自分のしていることに自信を持てず…でも、中学生って面白いんだなあとわくわくもしながら、右往左往、何とかやっていた。

実習開始から10日ほど経ったある日、音楽室で部活か何かをしている生徒達を見ていた。生徒達は思春期真っただ中で、実習生である私を意識はしているようだが、あまり話しかけてくることはない。私も、ウザイと思われたら悲しいので、あまりガンガン近づくことができない。そんな状況のなか、ふと気づくと私の隣に実習指導担当の音楽の先生(T川先生という先生です)が立っていらした。そして、ニコニコしながら、こう言ったのである。

「森さん、子どもたちかわいいでしょう。」

私は、突然の一言にびっくりしながら、そう、そうなんですよ!!!と思った。うまく授業もできないし、生徒達とコミュニケーションが取れているわけでもなかったのだが、生徒たちの一挙手一投足に夢中で、実はメロメロである自分に、そこで初めて気づいたのだ。私が、「はい」と答えると、先生はつづけて、

「森さん見てたらわかるよ。それが大切なことなんだよ。それがあれば大丈夫。」

と仰った。先生はすぐにその場を離れて行かれたのだが、私はそこに立ったまま、たくさんの生徒達がきゃっきゃしている音楽室で、今度は急に泣きそうになるのを一生懸命こらえた。不安はすーっととけていった。そして、その言葉が、その後教員になるひとつのきっかけになった。

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今でもこのことを時々思い出す。特に、教員になりたてのころ、授業や学生指導でうまくいかないことが多かった時期には、頻繁に思い出して、「いや、たぶん大丈夫!私、学生/生徒のことめっちゃ愛してるもん。来週はうまくいくはず。」と自分を励まし、授業準備や教材研究に取り組んできた。先生は、授業もまずく、不安そうにしている私をフォローするつもりで仰ったのかもしれないが、人生にとって、ものすごく大きな言葉を頂いたと思っている。いつかあの先生のように、その言葉を必要としている人に、ぴったりの言葉を、ぴったりのタイミングで、そっと伝えられるような人間になりたいとも思う。

ああ、今書きながら思い出して、ありがたさにまた泣きそう。

大学生にとって実習というのは本当にタフでハードなものだ。仮に教員志望度が強かったとしても、プロの教員の技術や激務の毎日を目の当たりにしたら腰が引けるし、限られた期間で子どもたちと繋がりをもつことはとても難しいし。でも、学生たちには、その中で色々な失敗や成功、色々な思いをして、保育者・教育者になる決断やならない決断をしてほしいなあと思う。そしてなるにせよ、ならないにせよ、実習がその後の糧になるような経験になればいいとも願っている。

 

【ブログ&コラム】ダメ、絶対。

今週は、卒論発表会、原稿執筆、論文リバイズ、成績つけ、入学前教育と、えらい騒ぎであった。ザ・年度末。そしてやむを得ず久しぶりに徹夜をしたところ、翌日は腰痛悪化、翌々日はナゾの頭痛と、さんざんなことに。

なんとか1週間を乗り越えた今、自分が30代半ばであるという事実を静かにかみ締めている。もう徹夜、ダメ、絶対。

土日は何とか、久しぶりにジムに、と思っている。でも、腰痛があるときのワークアウトはどんなことに気をつければよいのかを、ググるところからのスタートだなあ。

【ブログ&コラム】他人の日記は蜜の味

誰かの日記をまとめた書籍が好きだ。他人の日常を覗く背徳感。公刊してくれているのだから、堂々と読んでいいものだし実際堂々と読むのだが、日記は本来他人に見せるためのものではないので、やはりちょっと、悪いことをしている気分になる。それがいい。

というわけで、最近これを買った。

 

特集が「創る人52人の「激動2017」日記リレー」というもので、作家や芸術家、映画監督等の日記1人あたり1週間分が、合計で1年分収められている。1人1週間なのですぐ終わってしまうが、パスタをつくって食べた、とか、〇〇の本を10頁くらい読んだ、とか、個人名が下の名前で出てきて説明もされていなかったりとかして、他人の日記を読む愉しみがちゃんとある。

私は、映画監督や劇作家の人の日記が好きなようだ。自分の日常を俯瞰で見ている感じがいいのかも。まだ出だししか読んでいないので、今抱えている仕事がひと段落したら、続きを読むつもり。

そういえば多くの人が何らかのかたちで安倍首相に触れている。

 

他人の日記を読む愉しみシリーズだと、近年はこれも面白かった。

バンド「クリープハイプ」のボーカルの人が書いた日記。新曲をつくる過程を中心に、かなり生々しく日々の気持ちを書いている。産みの苦しみ、ライブMCがうまくいったかいかないか、他バンドへの妬み嫉みや、かつての知人に対する落胆なども。結構感情移入しながら一気読みしたので、女の子とデートしたという文を読んだときには、「はープライベートを楽しんでいてよかったよ〜」、「やるやん、このこの~♪」みたいな謎のなれなれしい感情を抱いた。読み終えた後、バンドの曲も聴いた。「イト」「鬼」今も結構好きな曲(どっちもシングル曲、ニワカもニワカですみません)。

 

こちらは、日記だけでなくエッセイや手紙も含んだ、〆切にまつわる文章を集めた本。何かと〆切に追われる人間(今も…)にとっては、こんな文豪も、あんな売れっ子作家もみんな苦しんでるんだ!という気持ちになれて楽しい。つらつらつらつら、異常な語彙力・表現力でもって言い訳をつづっている明治~大正期の小説家たち(読んでから時間が経ってしまい個人名が出てこない)には、さすがに「これ手書きで書くくらいなら原稿やればいいのに」と私でも思ってしまう。そのいびつさを、愛さずにはいられない。

 

ちなみに、シャーロック・ホームズのシリーズや村上春樹の作品も、他人の日記を読む愉しみの要素を多分に含んでいると思っている。ホームズがソファに腰かけながらワトソンと喋っているところの描写とか、村上春樹作品の主人公が朝ごはんをつくって食べて掃除しているところの描写とかに漂う、日常感。何でもない、ある一日のなかの、ある時間の流れの描写。謎解きや冒険のはざまにあるそういうシーンを読んでいると、小気味の良さをおぼえる。

【ブログ&コラム】世界を旅するグランド・ピアノ

先日某大型楽器店に行ったところ、アジアの国々からの観光客とおぼしき人たちがたくさんいた。まあそれは特に驚くことでもないのだが、グランドピアノのフロアに行くと、そこにも次々にやってきて、熱心にピアノの試奏や選定をしている。

店員さんに尋ねたところ、海外からの観光客で、日本でグランドピアノを購入していく人は割といる、とのこと。お店(都内)で買って、お店が港までトラックで配送し、そこからはお客さんが自力で手配して、住んでいる国まで船で輸送、という流れになるそうだ。

ピアノはヨーロッパの工房でつくられる。その楽器店にあったのはベーゼンフドルファーだったのでオーストリアでつくられたとして、そこから日本にやってきて、そしてアジア各国に・・・ということになる。どうやって運ぶのか(そのまま運ぶのか、解体して運ぶのか等)はわからないが、大きなピアノがぶーんぶーん・どんぶらこっこと世界を旅して、誰かの家やホールに迎えられ、活躍するようになる、と想像するとなんだか愉快な気持ちになる。

・・・ところでこの文章を書いていて思ったが、楽器を擬人化したくなるのは、音楽をやっている人間の癖なんだろうか。私は性別なしで擬人化するのだが、恋愛対象となる性で擬人化する人も周りに結構いる。男性ギタリストが、ギターを女性としてみる、といったような感じで。楽器を見ながらさもいとおしそうに、「コイツは結構わがままでさ・・・」みたいなたわごと(失礼)を言っている人を見たことも、一度や二度ではない。

そして私は擬人化だけでなく、感情移入もめちゃめちゃしてしまう。少し前に学生が音楽室のグランド・ピアノの蓋を乱暴に閉めたときなんてもう、「ちょっとアンタ!!この子に何してくれてんのよっ!!」ぐらいの勢いで飛んでいったし、蓋をなでなでしながら心の中で「かわいそうに、ごめんね・・・」と謝った。でもそういう人、老若男女問わず、結構いるような気がするんだなー。

【ブログ&コラム】Jimmy Greene ”Beautiful Life”

最近このアルバムを聴いている。

 

ジミー・グリーン(Jimmy Greene)というジャズ・サックス奏者の2014年のアルバム。2012年12月14日に起こったサンディフック小学校銃撃事件によって娘さんのアナ・グレースを亡くしたグリーンが、その娘さんにささげたものである。そういうアルバムがあることは知っていたが、最近になって、ふと聴きはじめた。

事件は衝撃的なもので、本当に言葉を失うような出来事。その事件で亡くなった娘に音楽をおくるということは、音楽に特別な、特別過ぎるともいえる意味がもたらされることでもある。もしかしたらグリーン自身も躊躇したかもしれない。しかしそうやって作品にすることが、彼にとって、ご家族にとって必要だったのかもしれないとも思う。Wikiをみると、ニューヨークタイムズのレビュアーNate Chinen がこのアルバムについて、「歌の中に静かなレジリエンスがある」と表現したという。まさにそうしたものを感じる。

聴き手にできることは、聴くこと、考えること、憶えていること。

1曲目にはアナ・グレース自身による歌声が入っており、ご兄弟かなと思しき名前の人がピアノを弾いてもいる。全編をとおしてシンプルな曲が多く(彼のほかのアルバムには比較的コンテンポラリーで複雑な曲が多い)、そのことについても思いを馳せてしまう。

3曲目の”When I come home”は、グリーンの別のアルバム”Live at Smalls”に収録されているバラード曲”Home”をヴォーカル曲にアレンジしたもので、これが特に印象に残った。繰り返し聴いている。キーは変えないまま、ストリングス・イントロのバラードになっている。歌っているのはハヴィエル・コロン(Javier Colon、読み方間違っているかも)という歌手。ジャズの人ではないようだ。みずみずしく伸びのある声で、シンプルな内容をまっすぐ歌っていて、とてもよい。テンポもそれほど変えず、バラードのまま、原曲以上に美しいリアレンジと演奏をしているグリーンの手腕に感動した。その感動が、他のさまざまな感情よりもつよく残ることが、このアルバムの素晴らしさだと思う。

 

 

【ブログ&コラム】語るべき内容をもつ

先日友人宅でのホームパーティにお呼ばれした。その友人カップル、そしてデンマーク在住・一時帰国中の国際結婚カップル(旦那さんがデンマークの方、奥さんが日本の方)と私とで、たくさん飲んで食べて、大変楽しい時間だった。

会話はおおむね英語で進んでいき、私も四苦八苦しながらかなり頑張って聴いたり喋ったりしていたのだが、デンマーク旦那さん(Aさんとする)とこんな話になった。

A「僕、日本の現代音楽が大好きなんだ」

森「へぇー。誰が好きなの?」

A「タケミツとかもちろん聴くけど、一番はマユズミ。イマムラの映画で音楽を書いているでしょう。素晴らしいよね。」

森「そ、そうなんだ…(黛敏郎はもちろん知っているが、今村昌平の映画を観たこともない。しかも私のなかの黛は『題名のない音楽会』の人というイメージ…恥ずかしながら…)」

A「それにしても、マユズミはどうして晩年ナショナリストになったのかな?もともとなの?イマムラの作品とは正反対の価値観だと思うんだけど…」

森「…(わからん)」

デンマーク人である彼が日本の文化に高い関心を寄せて、作曲家のパーソナルな部分も知ろうとしている姿に恐れ入るやらわが身を恥じるやら。そして、もちろん英語はしゃべれればしゃべれるほど良いと思うし、読み書きももっと磨かないといけないと自分で思っているが、それよりなにより、語れること、語るべき内容を自分のなかにもっともっと培わないとだめだなと、改めて認識・反省した。

今村昌平監督、黛敏郎音楽の作品を検索すると、1961年に『豚と軍艦』、1966年にエロ事師たち」より 人類学入門 』1967年に『人間蒸発』、さらに1968年に『神々の深き欲望』という映画が公開されているようだ。どう見ても濃そうなタイトル。勇気を出して観てみようと思う。

【ブログ&コラム】楽譜留めいろいろ

私は音楽実技という、ピアノの弾き歌いを中心とした授業を担当している。広い音楽室にたくさんの電子ピアノがあり、学生たちが個々に練習に取り組む時間を多くとっている。指導してまわっていると、目を惹くものがある。それは、楽譜を留めている色とりどりのとても大きなクリップ。

分厚い歌集をがしっと留めているそのクリップたちは、モンスターズインクだったり、リトルマーメイドだったり、色々なディズニーのキャラクターが立体的にあしらわれていてとてもかわいらしい。しかし楽器屋さんでも文房具屋さんでも、似たようなものを見かけない。

どこでどうやって手に入れているのか、不思議に思いつつ、特に尋ねることもせずにいたのだが、その正体が分かったのは約1年前のこと。

 

こちらをごらんください。

ディズニー お菓子 クリップ - Google 検索

 

そう、彼女たちが使っているクリップは、ディズニーリゾートで売っているお菓子の袋についている、袋留めだったのである。いいアイデアで感心してしまった。本学の学生のあいだではこのクリップを楽譜留めに使っている人が結構多く、学年も複数にわたっている。他大学(といってもほんの数校だが)ではまだ見たことが無い。全国的にはどうなんでしょう。

いずれにしても、めあたらしい楽譜留めを見るとちょっとわくわくする。授業中の私の密かな楽しみである。それから、面白いもので留めている学生がいるのを見つけて、この子は楽譜留めとしてこれを買ったのかな?それとも家にあるものの中から楽譜留めに使えそうなこれを見つけ出したのかな?などと考えたりする、それも好きだ。学生には学生の生活があり、彼らの世界がある。

なお、多くの器楽学習者がつかっていると思われるのはやはりこちら2つ。

↑これは私も使っている。最近は黒とかピンクとか、猫のかたちのものとかがある。中側2本を開きたいページに、外側2本を束状になっているページの中に差し込んで使う。

 

↑最近のは、紙面に接する部分が透明で、楽譜が隠れないようになっている。企業努力を感じますな。

 

…そういえば5年くらいまえは、パカパカ携帯で楽譜を止めている学生もわりといたなあ。もうすっかり、見なくなりました。